ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

豊ヶ岡から石狩月形へ

豊ヶ岡駅の雰囲気に引き込まれ、ちょっとここで和んでしまいました。まあ、夜には怖くて来れないでしょうけれどね。

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真夏ですが、ママさんダンプが保管されています。どれだけ利用者が居たのかは分かりませんが、キチンと手入れがなされています。

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地名は「豊ヶ丘」ですが、駅名は「豊ヶ岡」。「丘」と「岡」の違いはなんでしょう。更に「陸」も「おか」と読みます。「陸蒸気」とかね。興味のある方はググって下さい。どうでもいいけれど「ワイルド7」の主人公、飛葉大陸は「ひば・だいろく」です。漢字の読み方の奔放さには参ります。

 

さて、豊ヶ岡からは国道には出ないで裏道を進みます。石狩月形まで距離的に近いという他に、撮影地がありそうだからです。んで、ありました。

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13:21~22 豊ヶ岡石狩月形 728D

石狩平野~。実はこの場所から石狩月形駅が見えるのですが、ちょっと遠いので写真は割愛します。後年、ベータカムを担いでこの場所を訪れましたが、立入禁止の札が架かっていて諦めたことがあります。

 

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14:46 豊ヶ岡石狩月形 725D

札沼線の沿線は水田が広がる米作地帯です。時折、雨がぱらつく、ちょっと梅雨かと思うような天気でした。

 

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16:22 石狩月形駅 730D・661D(浦臼行き)

石狩月形駅に到着です。左側の730Dに乗車して帰宅します。電柱に掛けられた青い札から、石狩月形新十津川間のスタフはヨンカクのようです。

 

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16:56 石狩当別駅 730D・665D(大学前行き)

730Dは折り返し、新十津川行き17:29発727Dになります。ところが727Dのサボはというと・・・

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石狩当別発、新十津川行きなので、このサボはどうにも変です。

当時の時刻表を見ると、札幌~新十津川間の直通列車はありませんから、どうしてこんなサボがあったのか、それ自体が奇妙です。実は、727Dの折り返しとなる新十津川からの最終列車734Dは石狩当別行きなのですが、石狩当別で増結した後、列車番号を680Dと変えて札幌へ向かうので、実質、新十津川から札幌まで直通することになります。新十津川でサボの差し替えは省略したのでしょうね、それでこんなサボを差していたのだと思います。

 

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跨線橋から駅裏の方を見ています。今はすっかり整備されています。

 

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17:09 664D

665Dの折り返し列車が大学前から戻ってきました。大学前駅は現在の北海道医療大学駅で、当時の学校名は東日本学園大学でした。

これを撮影した後、ダッシュで列車に乗り込みました。もうちょっと駅の様子を撮っておけばよかったのに。

 

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664D 釜谷臼←石狩太美

大河、石狩川を渡ります。この橋を渡ると札幌に帰ってきたという気分になります。後に「あいの里公園駅」に改称される釜谷臼駅は、札幌市内ですから。歩き疲れた筈なのに、珍しく列車内では眠ることなく、車窓を眺めては時々シャッターを切っておりました。そりゃまあ、寝過ごして終点の札幌駅まで行くのは御免ですからね。

 

昭和62(1987)年6月8日