ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

札沼線に乗ったよ

夏休みの帰省時、ふと札沼線に乗りたくなって新十津川まで乗車しました。

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新琴似駅

律儀に、始発である札幌駅から乗るなんて考えもしませんでした。最寄りの新琴似駅からの乗車です。駅裏のマンションがいささか威圧的です。駅舎は外壁をいじり、かつての姿から幾分垢抜けした印象です。

 

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13:29 629D

メモはありませんが、陽の回り方から察するに、この列車だと思います。札幌~新十津川間には6往復が設定されていました。それにしても乗客の姿がありません。

先頭からキハ40 176+キハ46 2+キハ40 110+キハ27

3両目のキハ40 110に乗車です。

 

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知来乙石狩月形

知来乙駅を出てすぐのカーブでしょうか。

 

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石狩月形豊ヶ岡

石狩月形駅を出てすぐの辺りでしょう。

 

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豊ヶ岡~札比内

札比内駅手前になります。沿線は今とあまり変わっていないように見えます。もう列車は走っていませんが。

 

15時ちょうどに浦臼駅到着です。4分間の停車になります。

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浦臼駅

後ろ2両は切り離されて上りホームへ転線、前の2両が新十津川から戻ってくるまで、そのまま待機するようです。

浦臼駅は交換駅であり、まだ車庫が残されていました。SL時代には給炭台もあったようです。札幌からのC11や、石狩沼田からの9600が休息していたのでしょうね。

 

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浦臼駅発車

先頭のキハ40 176に乗り換えて終点を目指します。

 

そして15:27、終点の新十津川に到着。

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駅員がいます。腕木式信号機もあります。

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側線もあります。

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貨物ホームも残っていました。駅裏の雑木林は心なしか低めかと。

 

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新十津川駅は、「しんとつかわ」ではなく「しんとつがわ」でした。

折り返し列車の発車は1時間半後の17:02であり、待ちくたびれそうなので、滝川へ向かうことにします。

 

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徳富川に架かる国道275号線新十津川橋梁から。歩道がありません。現橋は平成7(1995)年10月に架け替えられたものだそうです。見えるのは札沼線の橋梁を転用した水管橋。現在は河川敷が林の様になっていてこんなにスッキリには見えません。

 

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国道451号線の石狩川橋から。川下(札幌方)を見ています。未だにこちら側にしか歩道はありません。

 

道に迷うことなく、無事、滝川駅に到着。

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滝川駅 オエ61 99(←マニ60 711←スユニ61 506←オハニ61 340←オハニ25619)

どんだけ改造されてんね。国鉄時代、ちょっとした駅には救援車の姿がありました。当時は、どんな形式から改造されたのかなんてことは深く考えずに、ただ「珍しい」という理由だけでシャッターを切っていました。

 

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17:04 下り「おおとり」

所定9両ですが、増結されて10両編成です。

17:07発小樽行き838列車があるので、それに乗って帰宅したのかもしれません。今回は撮影したコマを全て貼りましたが、こんだけです。あくまで乗り鉄を楽しんだだけのようです。今の自分だったら、そんな生ぬるい態度など拒絶し、死ぬほど撮りまくっていたでしょう。

 

昭和58(1983)年8月15日