ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

7年前の札沼線

先月は友人に誘われて札沼線(非電化区間)の撮影に出向き、運転士から注意を受けた次第でしたが、7年前の同じ頃にも同じ友人に誘われて札沼線で撮影しておりました。

石狩金沢駅スタートでした。まだ夜明け前。朝一番の回送列車は撮影しておりません。
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この駅は、カラオケのバック映像に使われたことがあります。何の曲だったかは全然覚えていませんが、男女が映像の中にあったので、多分、演歌だったのでしょう。歳を取ると演歌が好きになるかなと思いましたが、自分の場合はさっぱりです。

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駅付近でどうやって撮影しようかと思案していると、軽トラックが到着しました。今年は4台でしたが、この時は2台だったかな。

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待合室からは、ホームにではなく線路を横断する一筋の雪道が伸びています。

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駅裏に国道があって、そこへと通じる道なのでした。軽トラックの人たちが、ホームの除雪をした後に、この道造りに励んでおったのでした。向こうには除雪車が国道を走っています。線路を横断するなんてケシカランなどということもなく、黙認されているのでしょう。

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国道側から駅を見るとこんな感じです。立木の目印もありがたい。

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06:45 5422D 浦臼からの一番列車です。2両編成ではありませんでした。

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07:27 月ヶ岡駅 5421D 下りの一番列車です。
朝日を浴びてさわやかにクソ寒い日です。雪をかぶった木々が美しいです。色がマゼンダっぽいのは、カメラの癖です。補正しても実際の色が思い出せないので、そのままにしておきます。この時は運転士からは注意されませんでした。踏切の脇になります。

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08:26~28 5424D 豊ヶ岡駅到着~発車になります。
この道路橋には目障りな金網がありますが、キハ53の時代に既にレンズの覗き穴のように、数か所、網が破られておりました。この時は、道路端に堆積した雪山に上がり、金網越しに撮影しています。

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豊ヶ岡駅
「不審者注意!」の看板がありますが、以前は「チカン注意!」だったような気がします。今は待合室の中にファンが撮影した鉄道写真が飾られているようです。秘境駅と称されていますが、近くに農家はあります。雪のない時期には、よく自転車が止まっていました。通学生?通勤者?不審者?
ところで待合室の中には月形炭鉱に関する掲示物があるそうです。かつてはこの炭鉱からの石炭を、この駅付近から積み出していたそうです(炭鉱の稼働は昭和22~38年)。秘境駅にも埋もれた歴史があるのですね。

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08:47 5423D
そうこうしているうちに下り列車がやってきました。駅前踏切には遮断機も警報器もありません。見りゃあ分かるだろ、って感じで。残念なことに、今は線路を挟んで車止めが設置され、車で横断することができなくなりました。

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09:20 南下徳富→下徳富 5423D
新十津川へ向かう途中、豊ヶ岡で見送った5423Dに追いついてしまいました。

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09:54~56 於札内駅周辺 5426D
5423Dの折り返しを撮ろうと俯瞰できる場所を探しましたが、時間切れで十分な高さの場所を探し損ねました。電線の密度がすごい。

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12:37 新十津川駅 5425D
普通に5人ほどが下車しました。カメラを持った人はいませんでした。
この当時は「しんとつがわ」と濁った読み方でした。

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13:56 月ヶ岡→中小屋 5428D
鶴沼駅で撮影した5428Dはつまらないので割愛しました。鶴沼からここまでの間に追い抜いてしまい、余裕で撮影できました。

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14:58 知来乙駅付近 5427D
踏切標識の図柄が蒸気機関車から電車に変わりましたが、どっちであっても内容は嘘ですね。「ふるさと銀河線」にはちゃんとCR車をデザインした標識がありました。

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15:24 晩生内→札的 5427D
またまた追い抜いての撮影です。危険が一杯の冬道だけに、決して無茶な運転はしておりませんから、列車がどんだけ遅いんだということになります。

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17:38 石狩金沢駅 5429D
石狩金沢駅に戻ってきました。乗降客ゼロ。

浦臼新十津川間にはまだ3往復が走っていました。たった3往復とはいえ、あっち行ったりこっちへ来たりと、また、車で追いかければ追いついてしまうので、結構暇を持て余すことなく充実した撮影を楽しむことができました。勿論、この頃、札沼線を撮影するもの好きなファンなど、他には一人もいませんでした。

平成23(2011)年2月20日