ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

下調べの第一橋梁

檜原へ通じる(すでに通じてない)旧道から国道252号線に戻る途中、せっかくなので1本撮っておきます。

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13:52 会津西方会津檜原 429D

この旧道なのですが、背後は崖になっており、時折パラパラと何かが落ちて来る音が聞こえます。旧道が放棄されたのも、これが原因なのでしょうかね。いささか怖くなり、この場所へはその後二度と訪れていません。

 

川井トンネルの前までやってきました。この山の上から第一橋梁は見えそうなんだけどな。と、トンネル横にふと目が行き、寄ってみると獣道がありました。今の、ストリートビューで確認できるのとはちょっと状況が違って、こんなすぐ目につくような感じではなかったような気がします。

それはともかく、それを登っていったわけです。途中、急斜面の箇所にはゴムチューブが張られていてそれを頼りにえっさほいさ。するってえと、眼下に第一橋梁がキレイに見下ろせる場所に出ました。やったぜカーちゃん、そんな達成感に浸りましたよ。

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14:29 会津西方会津檜原 上り臨時列車

せっかくの場所も、曇ってしまうとありゃりゃ。まあ、今回は下調べだし。この臨時列車は全く予期しなかった列車で、午前中も汽笛が聞こえてから慌ててカメラを構えて撮りましたし、この時もそうでした。

 

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15:01 会津宮下会津西方 432D

この場所は第二橋梁も見える大変にお得感たっぷりの場所なのですが、廣田さんの写真で見たことがありました。でもどうして第一橋梁の写真はあんまり世に出ていないんだろう。川岸に下りての仰瞰や旧道からの写真は見たことあるのに。

 

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15:04 会津西方会津檜原 432D

せっかく晴れても逆光では美しさも半減。

でもまあ、午前中の晴れ時にやってくれば順光ばっちりということが確認できたので、これはこれで善しと。まだ紅葉前だし。

 

この後、列車は当分やってきません。(急行「奥只見」のことを忘れている。)そこで滝谷まで行ってみることにしました。滝谷には切手で有名になった橋梁があるので、そこも下調べしておきましょう。

 

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17:07 会津檜原←滝谷 433D

伐採地の斜面を上がっている途中、両ふくらはぎが悲鳴を上げて歩けなくなってしまいました。流石にこれだけ歩くと無理が出たようです。といっても10kmは歩いていないんですけどね。斜面の上り下りが足にキていたのかも。8年後に深名線を撮りに行った時には、深川から上多度志まで10km、重たいベータカムと三脚を担いで、しかも雨の中を途中途中で撮影しながら歩き通したものですが。ええ、自慢ですよ。でもやっぱり疲れてしまい、昼過ぎには帰宅してしまいましたけど。雨だし。

ともかく、うずくまったその場所は見通しが悪かったので、橋がそれなりに見える場所までそろりそろりと下りました。結構暗くなってしまい列車を流すしかありません。

撮影を終えての帰り道は更に暗くなってしまいちょっと怖かったです。ええ、こんな状態の脚で橋の上を歩いていったわけですから。

 

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滝谷駅

帰りの列車が来るまでの間、すっかり暗くなった滝谷駅では何もすることがなく、誰もいないけど写真には何かが写るかも、そんな期待を込めてシャッター一発。何か見えますか?私には見えません。

 

昭和62(1987)年10月3日