ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

両足こむら返り

塩谷を後にして倶知安に向かいました。休憩中のC62 3を間近で拝んでおこうというわけです。

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倶知安駅

すでにC62は転車台で方転を済ませ、車庫の中で休んでおりました。そこへキハ54の3連がやってきました。こちらも車庫に入るようです。

 

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駅北側の踏切にはC62を見学にやってきた子供達の姿もありました。でもキハ54には興味はなさそう。多くのファンも見向きもしません。この年度内にキハ54は苗穂と函館から撤退し、旭川と釧路に集中配置されるので、1年後にはこんなシーンは見られなくなります。

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そうとは知らずに撮ったC62とキハ54とのツーショットは貴重なものになりました。

 

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キャブから後ろは車庫の中で、全体を見られないのは残念だけれども、しばしその雄姿に見とれておりました。

 

そして午後の撮影地には小沢を選びました。銀山側の上り勾配となる区間です。国道5号線の短いトンネル(国富トンネル)のある山に這い上がり、そこから銀山方面に向かって場所探し。

正直、どこから山に上がったのかはさっぱり覚えていません。ただ、なかなか視界が開けずに、相当焦っていたことだけは記憶にあります。なんせ道なき道を草むらを掻き分けての行軍です。そもそも撮影できる場所なんてあるのだろうか。時間だけがどんどん過ぎてゆき、そんな焦りの中で、ようやく開けた場所に出ました。獣道です。しかしその場所からはまだ線路がよく見えません。先の方に小高い場所を見つけ、そこを目指して更に進もうとしたその時でした。突然、右足がこむら返りに。いたた・・・。しばしうずくまって痛みが引くのを待ち、ちょっと落ち着いた頃に立ちあがったら、今度は左足までもがこむら返りに。嘘だろう・・・。両足やられては成すすべ無し。C62が通過するまで、もう10分もありません。窮地。座り込んだまま、バッグから缶ジュースを取り出して一気に飲み干しました。ふえ~~~。人の気持ちは不思議なものです。一息ついたところで、気持ちが再燃し出しました。ショートズームを付けたカメラ1台だけをバッグから掬い上げて、おそるおそる立ち上がり、こむら返りが再発しないようにそろそろと歩き出しました。目的地までおよそ300mといったところでしょうか。結構、遠い。競歩よろしく、膝を曲げない様に必死の小股歩き。途中でヘビを踏んづけるも構っている余裕なし。そして必死に辿り着いた場所は、そこそこ期待した通りの場所でした。汗をぬぐっている所へ、C62は姿を現しました。

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14:23 銀山←小沢 C62ニセコ

場所は期待に近いものでしたが、煙は期待したほどではありませんでした。獣道の先にはファンの姿が見えます。なんのことはありません。集落の中を走る道路から、この獣道に上がることができたのです。一仕事を終えた達成感から、帰りは鼻歌混じりで山を下りました。道路には車が並んでおりましたよ。

 

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小沢駅に戻ってきました。

 

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途切れているのは岩内線の跡。

 

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16:01~02 3186D

普通の鉄も忘れません。よし、明日もここに来よう。

こむら返りはすっかり収まりました。

 

昭和63(1988)年5月1日