ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

平常運転で

知人との「C62ニセコ号」撮影の三日目、最終日になります。この日も前日に続き、まず小沢駅へ行きました。最終日くらいは自分流の絵を撮りたいということで、駅で知人と別れて5万の地図であたりをつけていた場所へ向かいました。

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08:39 小沢駅 3157D

早めに小沢駅に到着したところ、ちょうど下り列車が到着しました。この日も天気良好。時間が早過ぎて他にファンの姿は見えません。駅から正面に見える小高い丘に行きました。

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10:50頃 銀山→小沢 C62ニセコ

当然ながら煙はありません。下り勾配を下りて小沢駅に到着します。岩内線の線路跡はちょっと分かりにくいですが、道路よりちょっとだけ高い位置にありました。

 

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古い駅舎時代の小沢駅。簡易委託で切符は売っていました。

 

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10:55頃 銀山←小沢駅 3173D

後に到着した普通列車が先に発車してゆきました。

 

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11:00頃 小沢駅→倶知安

C62発車。この日はいい感じの煙を出していました。跨線橋には大勢のファン、そして駐車の車も道路上に列をなしています。両側に停めるなよ。思いやりに欠けるこういう傍若無人ぶりが社会から反感を買うのに。それにしても風が強かったのか、煙が地を這うように流れています。

この後の行動は覚えていませんが、午後には仁木の田園でカメラを構えました。この時も知人とは別行動。

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14:53 余市←仁木

煙無しのせいではなく、なんかイマイチ。撮影後、知人の迎えを待ってすぐに蘭島駅へ移動します。C62が余市駅で停車している間に先回りできます。

 

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15:28 蘭島駅

通過直後、上り勾配に向けてせっせと投炭を開始したのか、突然煙がもうもうと立ち上がりましたよ。

 

春の撮影とは違って、列車を大きく入れての撮影はそれなりに楽しめたのですが、趣味の世界で自分の気持ちを抑えて、人に気を遣うのは疲れます。車撮影の恩恵を受けたとしてもです。

この7年後のC62運転最終年、ベータカム1本で撮影していた頃は、友人らの車に乗せてもらうことが何度かありましたが、こちらの我儘で適当な場所で下ろしてもらい撮影後に拾ってもらっていました。その友人らにもベータカムを預けて、2カメ、3カメ態勢で別々の場所で撮影をしたので、個人レベルとしては豊富な映像を残すことができました。(映像が残った代わりに、貯金が底を尽きました。)正式な許可を取り、夜の苗穂運転所でC62の出区、入区を一緒に撮影したのもいい思い出です。そんな友人らには感謝の気持ちで一杯ですが、その態勢は札沼線のキハ53終焉の頃まで続きました。

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昭和63(1988)年8月16日

 

35mmポジフィルムの画像も、これで一通りアップしたことになります。しかし、その後に追加スキャンした画像も少なくないので、次回からはまたまた時間を遡りますよ。