他の人とは違う目線で撮影したいという気持ちが強くなりすぎて、自分でも何だかよく分からない方向へと突っ走っていました。
09:44 小樽←塩谷 3165D
小樽駅からぶらぶら歩いて撮影場所を探していると、造成中の一角に辿り着きました。この姿は今この時にしか撮れないと思ってカメラを構えることにしました。あまり美しくもない街並み、本当にここで撮っていいのか?という疑問は当然ありましたが、いやいや、だからこそ撮るんだという声の方が強かったです。
10:04 小樽→塩谷 C62ニセコ号
画面左の外側に長橋中学校があったと思うのですが、自信がありません。連続上り勾配の区間のハズなのに煙は何ともあっさり。「C62ニセコ号」という主題は、「小樽の街並みの変遷」という記録の一枚になってしまいました。
13:46 蘭島→塩谷 C62ニセコ号
長橋からはバスで移動したような気がします。「桃内」で下車してここまで歩いて来たのではないかと。前年の春に来た場所と似ているようで違うようです。まあ、そんなこたあどうでもいい次元の、風景写真になっています。
迷走はまだまだ続きます。
平成元(1989)年8月17日
あぶれ写真も迷走します。
昭和53(1978)年12月24日 09:44 士幌線 黒石平←糠平 724D
士幌線の糠平~十勝三股間の営業最終日。休止扱いでバス代行となりましたが、実質の廃線でした。前日、道新でそのことを知り、衝動的にその晩、札幌を「からまつ」で発ち、やってきました。食料を買いそびれ、糠平駅の売店で飲み物とカステラを買い、その日を空腹で凌いだ思い出深い一日でした。
昭和54(1979)年8月21日 宮崎駅
運転を開始した「SLやまぐち号」を求めて2週間ほどの撮影旅行に出かけましたが、運転オフ日には九州内で撮影していました。宮崎駅には、大淀川で撮影するために訪問しました。撮影後、駅近くの喫茶店でインベーダーゲームに興じましたが(だって、暑いんだもん)、そんな時間があるなら駅撮りでもやっておけよと今の自分は思ってしまいます。
昭和55(1980)年3月12日 札幌駅 キハ27 51
本州では3月といえば春めき出す頃ですが、札幌はまだまだ冬模様。容赦なく雪が車体にこびり着きます。
昭和55(1980)10月18日 青森駅
東京で実施された就職面接の帰り。飛行機は使わず、道南ワイド周遊券で帰宅しました。交通費は会社持ちで、航空運賃との差額分はお小遣いに。
昭和55(1980)10月18日 函館駅
函館からは急行「ニセコ」に乗車して札幌へ。就職云々よりも汽車旅を堪能していた能天気な学生時代。
昭和55(1980)年11月8日 苗穂工場
北海道鉄道100周年を記念してのSL列車運転のため、牽引にあたるC56 160がいつ苗穂工場にやってくるのかと、毎日の様に学校が終わると偵察にやってきていました。当時は情報を入手するスベもなく、自分の足で稼ぐしかありませんでした。ようやく会えたのは14日で、興奮のあまり工場に突撃、守衛さんにお願いして撮影させて頂きました。時折、木枯らしに雪が舞う、とても寒い日でした。