何事も時間をかけて物事を深く追求すれば、その道を究める境地にまで達するのでしょうけれど、ちょっと道を踏み外すとあさっての方向へと進んでしまい、そもそも何をやりたかったのかすら分からなくなってしまいます。
09:48 銀山←然別 2530D
然別のスキー場です。線路を見下ろせる絶好の俯瞰場所と踏んで登ってみましたが、沿線には思いのほか樹木が茂っており、列車の姿は見え隠れしています。でも、きっとC62は、このあたりから煙を上げてくれるだろうから大丈夫。と自分に言い聞かせて待つことしばし。
10:45 銀山←然別 C62ニセコ号
しかし結果は惨敗。煙が無ければ列車の存在感も無し。夏のスキー場の風景写真と相成りました。
この後、どうしても気になっていた忍路のストーンサークルへ移動しました。何とか汽車と絡めたい。しかも上り勾配なので、煙が上がって多少遠くてもそれなりに写る筈。
13:43 蘭島→塩谷 C62ニセコ号
しかしまたもや撃沈。「集落の中のストーンサークル」という風景写真の出来上がり。でも着想と結果の乖離を、当時はあまり感じていませんでした。「何とか写っているから、まいっか」ってな具合に。
とはいえ、この2カ所を再訪することはいまだにありません。
平成元(1989)年8月18日
ここのところ、あぶれ画像でお茶を濁しまくっています。
昭和64(1989)年1月7日 札幌→苗穂運転所 回送列車 キハ46 3
キハ45の北海道版。わずか6両の製造。この当時は苗穂のみの配置。
昭和64(1989)年1月6日 長万部駅 キハ24 9
キハ23の北海道版。こちらも10両の小所帯。乗るとキハ22となんも変わりませんが、この垢抜けない表情は結構好きだったりします。函館、旭川、釧路の配置。
配給車代用車。側板上部の白塗りが斬新。
昭和59(1984)年11月17日 福島駅 トラ90856
全検上がりの回送車でしょうか。トラ90000は各地で運用されていて、札沼線でも見た記憶があります。