ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

三笠鉄道村

「C62ニセコ号」の運転再開の目途が立たないということで、予定を変更し、生きた蒸機を見るべく「三笠鉄道村」ヘ行きました。

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まずは、三笠駅跡に保存されているキハ80系を見学。車内に入ることもできました。だいぶ、塗装が日焼けして色褪せていますが、編成ごとの保存では、往時の姿がより偲ばれます。この数年後、キハ82の貫通扉が盗まれます。犯人は逮捕されましたが、こういう連中は本当に許せません。

幌内駅跡のメイン会場に移動します。

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室蘭本線 御崎駅近くの「鐵原コークス」で入換に使われていた産業用ロコのS-304。国鉄から蒸機が全て引退した後も、S-205との2両態勢で、構内での入換作業に従事していました。構内への立ち入りは許可されませんでしたが、構外から入換の様子を見ることができました。僚機のS-205はテツゲン構内で保存され、工場脇の道路から見ることができます。

ロッコ車2両を連結し、乗客を乗せて300mほどのコースを往復運転しています。ビデオでその様子を一通り撮影した後は、中版カメラで静態保存されている車両を撮りました。

 

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これ以降、何度かこの場所を訪れています。魅力的だった真冬の雪中運転は取り止めとなりましたが、今はS-304の体験運転を実施しているとか。

最後にここを訪れたのはもう9年も前になりますが、あれからどうなっているでしょう。

 

平成2(1990)年8月8日

 

今回のあぶれ画像は蒸機現役時代の苗穂機関区です。夕方の訪問で、あまり撮影していませんし、蒸機の姿をキチンと捕らえた写真もありません。何度目かの訪問ということで気持ちに余裕があり、その場の雰囲気に浸っているだけで満足していたようです。

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機関区構内では、絶えず機関車が移動していました。危険と隣り合わせですが、多分、借りたヘルメットをかぶっただけで付き人も無く、一人で勝手に撮影していたように思います。この当時、中学2年生でしたが、それなりに安全意識はあったようです。

 

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変形機D51 54の姿があります。転車台に載るのはC58。C58は、苗穂駅構内の入換と千歳線の補機に使われていました。他にC11や9600が配置されていましたが、他機関区からのD51の姿も数多く見られました。少し前ならC55やD50、C56の姿もあったでしょう。

 

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給炭台で石炭を積み込むC58。どうやって石炭を落としていたのか、そういうところをちゃんと観察しなかったことが悔やまれます。

手前にある石炭の山から、クレーン車を使って給炭台の上に積み込んでいました。

左奥の気動車は、今でいう所のPDC、オハフ62改造の気動車で、初代キハ45から改称されたキハ09です。この時すでに廃車となっており、留置されている場所は苗穂機関区ではなく、柵の向こうの苗穂工場構内です。ちゃんと撮っておけばよかった。

 

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石炭列車が到着、しかも重連。ナメクジと戦時型の組み合わせです。機関車用と構内施設の燃料用でしょう。

 

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苗穂駅には入換中のC58の姿が、本屋寄りにもC57らしき姿が見えます。千歳線の補機運用からの回送でしょうか。

 

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いつも煙の絶えることのなかった苗穂機関区。大気汚染のスポットであり、冬には雪がいつもごま塩状態でした。家に帰ってから鼻の中にちり紙(ティッシュなんて言葉はまだなかった)を詰めると、いつも真っ黒になっており、鼻毛が大活躍していた時代でもありました。

昭和46(1971)年11月23日