ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

冬の札沼線

京都の知人が渡道し、一緒に撮影しようと言うので、札沼線で付き合ってあげることにしました。待ち合わせまで時間があったので、しばし一人撮影です。
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6:29 月ヶ岡→中小屋 5422D
まだ夜明け前。結構、しばれてるど。

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7:32 月ヶ岡→知来乙 5423D

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7:33 知来乙石狩月形 5423D
朝の艶っぽい色合いに期待しましたが、残念ながら陰ってしまいました。マゼンダっぽいのはビデオカメラの癖で、実際にはオレンジっぽい色でした。以下の静止画では色補正でマゼンダ色なくしました。

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8:16 5425D 知来乙石狩月形 5425D
春には桜が咲き誇ります。まもなく石狩月形到着です。

石狩月形駅で知人と落ち合って、ここから一緒に撮影します。といっても、隣にくっついて撮影するわけではありません。シャッター音がうるさいから、しっしっ。
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8:34 石狩月形豊ヶ岡 5424D
下り列車が駅に到着すると、今度は上り列車が石狩月形駅に到着します。

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石狩月形駅 5424D、5425D
通学時間帯なので、生徒の利用が多いです。因みに小学生は児童、中学生・高校生は生徒、大学生・浪人生は学生、という使い分けになっています。
以前は、画面右側へ抜けることができましたが、今はツッペをかって通行不可となっています。これで駅裏の住民は、駅前に行くには大きく踏切まで迂回しなくてはならず、めちゃくちゃ不便を強いられることになりました。
知人はホームで撮影している模様。

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駅員が安全チョッキを装着しているのは、構内の除雪作業を行うからでしょうか。

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8:40 5425D
まず下り列車が発車しました。

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8:49 5424D
続いて上り列車の発車ですが、随分と間を持たせます。撮影にはありがたいですけど。

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9:52 南下徳富駅 5426D
列車をず~~~っと見通せる南下徳富に移動します。列車が来るまでの間、知人はフィルム撮影への信念を熱く語っておりました。格安で入手したニコンのFシリーズはすっかりお気に入り。デジタルへ移行する積りはさらさらないようです。
ところで、南下徳富駅の待合室はいつ取り壊されたのでしょう。ここは吹き曝しで風がキツイところなので、列車をホームで待つのはかなりこたえるよ。

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9:54 於札内←南下徳富 5426D
於札内へ向けて淡々と走ってゆきました。まさにビデオ向き。撮影後、知人は小樽へ急ぐというので別れました。私としては、ここで帰るのはもったいないので、もう少し撮影してゆきます。

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12:23 於札内←鶴沼 5427D
雪はあったものの、車で上がれたのでやってきました。午後になり陽が回ってきて光線状態はバッチグーです。列車が来るまでだいぶ待ちましたが、その間、新しい撮影場所を探そうと車でうろうろしましたが、残念ながら見つけることはできませんでした。

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12:25 於札内駅 5427D
ここの駅には徒歩でしか行けません。走ってもいいですけど。

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13:12 下徳富→南下徳富 5428D
新十津川駅からすぐに折り返してきました。南下徳富駅のホームが小さく見えます。

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13:15 於札内駅 5428D
於札内駅に到着します。だ~れも居ません。降りません。

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15:12 豊ヶ岡石狩月形 5429D
陽が陰って、うら淋しい雰囲気になりました。
こんだけ乗客がいない路線に、本当に鉄道でなければいけないのか、そう考えるのは極めてまっとうだと思います。金も知恵も出さずに「鉄道を残せ」と口だけ出すのでは、地元の身勝手と言われても仕方ないと思います。ただ、冬の国道275号線は、結構スリリングで、トレーラーが横向きになったり路肩に落ちたりしていますので、バス運行するにしても何らかの対策は必要かと。線路跡をバス専用道路にするとか。

平成25(2013)年11月29日