ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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昭和42(1967)年8月19日 盛岡機関区

車歴は↓こちら。

48637 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

 

9600形式に続く本格的国産機関車で、急行旅客用として製造されました。672両も製造された割には「8620形式」という何とも中途半端な形式番号です。これは8550形式が66両製造され、番号が8615号※に達してしまったため、ちょっとだけ空き番を設けて新形式としたからです。当時はもう残された番号が少なかったからでしょうね。実際、8620形式の参考とした輸入機関車は8700形式(英)、8800形式(独)、8850形式(独)、8900形式(米)と、3軸テンダー機関車の番号を食いつぶしていましたので、彼らへの敬意から控えめの番号として8615~8699までの数字の中から形式番号を選定したのでしょう。因みにC53の参考用として輸入した8200形式は、8900形式と同じパシフィックだったのにも関わらず、空き番号の8200形式とされましたが、8950形式とした方が良かったのではないでしょうか。ところで8900形式は当初8600形式を予定していたそうですが、8550形式の増備車がその番号を食うことが判明したことで8900形式に変更したそうですし、8850形式はといえば当初は8800形式の続番を予定していたそうです。あ~ややこしい。我が国最初のパシフィック8900形式を参考にしてC51が完成しましたが、最初は18900形式を名乗っていました。8620形式とは対照的に、1750mmという当時の狭軌鉄道では最大の動輪を持ったことで、輸入機関車の番号を超えて一気に形式番号もデカくしたようです。

 

8620形式は大正生まれの機関車ですから、当初は真空ブレーキを装備していました。後に空気ブレーキを採用したことで、元空気ダメのタンクを搭載しパイピングも賑やかとなり、ランボード回りはコテコテになりました。そのディテールが、機関車によって1両1両異なるのが蒸気機関車の面白い所でしょう。

48637のシリンダー側面の菊模様状の突起は(何と呼ぶ部品なのか分かりません)、後年取り付けられたものですが、これだけで近代国産機関車に見えてしまいます。

 

※8611~8615の5両は樺太庁鉄道の8550~8554(←8400~8404←20~24号)から改形式改番。日本に帰らぬまま、ソ連に接収されてしまいました。