ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

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昭和43(1968)年11月14日 高岡機関支区

車歴は↓こちら。

88625 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

前回の68670と同じ日に撮影したようです。第一種休車となり、こちらも煙突にカバーが掛けられ、雨の中に佇んでいます。「架線注意」のプレートが外されています。煙室扉回りの手摺はちょこんと、えらく小振りなものになっています。

ハドソンのC60、C61、C62やバークシャーD60、D61、D62は、既存の機関車を改造して誕生した形式で、C60=C59、C61=D51+C57、C62=D52+C59D60=D50、D61=D51、D62=D52といった姉妹関係になります。そしてハチロクには改造によらない同時期に新製された姉妹機関車が存在しました。6760形式です。姉妹機だけあって8620形式同様、何とも中途半端な形式名です。6760形式は、最初の標準的国産機関車として誕生した6700形式(飽和蒸気式)や6750形式(過熱蒸気式)の改良型であり、幹線用のハチロクに対して地方路線の旅客用を目的としていました。足回りは1C形のハチロクに対して、6760形式は明治以来の旅客用機関車の標準であった2B形でした。足回りこそ違えども、ボイラーやシリンダーは全く同じ。しかし、動輪が2軸と3軸とではその牽引力には大きな差があり(6760形式はハチロクの70%程度の牽引力)、ハチロクが蒸機終焉まで本線で活躍したのに対して、6760形式はその陰に隠れて入換機として晩年を送り、人知れず昭和33(1958)年には全車廃車となっています。

因みに形式番号の付し方はハチロクとは異なり6760~6799の次は16760ではなく、6800となります。ハチロクの場合には8699の次の8700はすでに使用済の形式番号だったので18620となりましたが、6760形式の場合、6999まで空番となっていたので桁を上げずに済みました。製造は88両の少数にとどまり、最終番号は6847でした。

 

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昭和43(1968)年3月21日 高岡機関支区

スノープラウが独特の形状で、蓋付きというのもユニーク。しかもその蓋には開口用の鎖まで付いているのですからね。で、何のための蓋なんでしょう?