ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

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昭和43(1968)年2月21日 大宮機関区

車歴は↓こちら。

29680 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

車歴表では入換専用機となっていますが、前照灯の横に補助灯ならぬ後部標識灯を掲げたスタイルは川越線のキューロクでよく見られたスタイルです。

この機関車も前回の29669同様、蒸気ドームが嵩上げされていますし、消音器も煙突前に設置されています。

煙室先端横のステップは、機関車によってあったりなかったり、あっても取り付け高さが異なっていたり、1カ所だったり2カ所だったりします。

2枚目の画像で、区名札差しの横の運用札差し(?)のど真ん中にボルトの頭が飛び出ていますが、こんなんで札が差せたのでしょうか。差せたんでしょうけど。製造板が

「川崎」ではなく「川船」になっています。川崎造船所ですね。

 

日中戦争の際、251両ものキューロクが大宮や苗穂・浜松・鷹取・小倉の各工場で標準軌化改造を受け、陸軍に供出させられて中国大陸へ送られました。それ以前、キューロクと同じ軸配置1D形である9200形式が、日露戦争後に満州へ30両が送られました。これらは全数が5年ほどで日本へ帰国しましたが、251両のキューロクは二度と日本の地を踏むなく、消息不明となっています。その中に9600~9605の初期車が含まれていたのはとても残念です。