ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 145

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昨日、江別の鐵様から「番号が、またワープしてるじゃん」とご指摘を受けてしまいました。なので、また機番はバックします。その事実をSAMPUKU爺様は全然気づいていません。

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昭和47(1972)年3月 宮崎機関区

車歴は↓こちら。

C11145 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

所属は志布志機関区だったようです。

炭庫背面の通風孔がいかにも九州の機関車といった風情です。

サイドタンクの揺れ防止型鋼は1本だけで、しかもRを小さくとって目立たないようにしています。

先輪の前にある弧を描く部材は何なのでしょう。排気パイプか何かでしょうか。

 

志布志区のC11は、日南線経由で志布志~宮崎間と、大隅線の志布志~鹿屋(かのや)間の運用で、志布志線(志布志都城間)はC58が担当していました。

昭和47(1972)年10月ダイヤ改正まで、大隅線にはC11牽引の客車列車が1往復存在していました。

日南線大堂津~油津間の海岸は有名撮影地で、七ツ岩を入れての海バックの逆光気味なシーンは、多くの蒸機ファンの記憶に刻み込まれていると思います。

因みに志布志機関区は日本最南端の機関区でした。