ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和46(1971)年2月18日 吉松駅付近?

車歴は↓こちら。

画像はこれだけです。列車の窓から咄嗟に撮ったものと思われます。分岐線の上なので駅の近くでしょう。

他の機関車にもありましたが、背面の手摺ステップの横にあるパイプ状のものは何なのでしょう。某ブログによれば「漏水管」とありましたが、その役目とは?その下部は後ろ端梁部で固定されているものの、上部には固定金具が見当たりません。ぐらぐら不安定にはならないのでしょうか。

切り欠きスロープには水平面の踏板があるものの、右側にはステップや手摺がないのでスロープに昇るのは困難そうです。このスロープの踏板も機関車によっては形状が異なっており、単に滑り止めとして帯板を貼っただけのものもあります。

この機関車の炭水車の大きな特徴としては、キャブ面に妻板(ウェザーボードなどと呼ぶらしい)があることでしょう。キャブ後方の開口部を覆うような妻板が画像で確認できますが、スロープ部の切り欠き箇所には後方確認のためのガラス窓が付いていました。環境から考えて、新潟地区時代に設置されたものでしょうかね。因みに青森の入換用69635などの炭水車も類似の構造でした(後年、撤去)。

69635と69636と69638 - ただいま鉄道写真スキャン中

廃車後は霧島市内で保存されたものの、管理者不在となってからは錆まみれのボロッボロの状態で放置。大抵、その先には解体という運命が待ち受けるものですが、どっこいこの機関車は幸運にも薩摩川内市内の業者に買い取られて整備を受けます。ファンとしては目が点になるほどの奇抜な塗装をまとっていますが、ここまで徹底的にやればかえって清々しくさえ思えます。こどもが喜ぶ「夢の蒸気機関車」的な。少なくとも、「苗穂運転所まつり」の落書き列車のようは不愉快・不快感は全くありません。純粋にその機関車の功績を称えるだけでなく、ランドマーク的なオブジェであったとしても、私有財産である限り、誰も文句を言う筋合いのものではないと思います。

ただ、この機関車の特徴であった炭水車の妻板は撤去されています。