ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D50 204

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月17日 若松機関区

車歴は↓こちら。

D50204 機関車データベース (形式D50) - デゴイチよく走る!

この5か月前に廃車となっていますが、ナンバープレートが付いているのでただの休車のように見えます。

異様に高い位置にあるナンバープレートと、ちょっとだけよの煙室扉回りの手摺が目を引きます。「架線注意」札は、おでこに貼った「熱さまシート」みたい。

給水温め器の端面ですが、縁に丸味がありませんね。

連結器の所には、あるべき空気ブレーキ用の管がありません。なので、相手を失ったチェーンが垂れ下がっています。

キャブ前窓の庇は、当然、機関士席側にもあります。

若松区のD50は筑豊本線で運用されていたようです。

 

D50は貨物機であり、お召列車を牽引したことはありませんが、御殿場線東海道本線だった昭和3(1928)年に、山北→御殿場、大垣→関ケ原、沼津→御殿場でお召列車の補機を務めたそうです。前補機なのか後部補機だったのかは分かりませんが、峠路で煙を吹き上げざるを得ないことと、解結の容易性から、後部補機だったでしょう。まだマレーの9750や9800も活躍していましたが、やはりD50のパワーが安心確実でした。本務機は当時の花形機関車C51。まだ特急「つばめ」が登場する前の、古~い時代のことです。