田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年8月15日 滝川機関区
比較的早期に除煙板が切り詰めされ、また補助灯が取り付けられています。キャブは密閉化工事済。
番号板は23cm高さのAD66180図によるもので、窮屈感があります。
昭和49(1974)年12月17日 名寄機関区
炭水車の前照灯(後照灯)が点灯しているシーンはほとんど見かけません。後部標識灯も点灯中。番号板の下にあるものは一体何でしょう?
「今日も明るく安全第一」。日本はどこでも「安全第一」です。
昭和49(1974)年12月24日 岩見沢第一機関区
スノープラウの中央部上面の切り欠きは小さめです。
レンガ造りの機関庫や木造の施設。模型屋さんには堪らないストラクチャでしょうね。
昭和50(1975)年3月16日 遠浅→沼ノ端
室蘭本線を南下する車扱い貨物列車。当時の室蘭本線は、貨物列車が24時間を通して1時間に数本が行き交う、まさに本線に相応しい様相を呈してました。そしてそのほとんどが蒸機牽引によるもの。複線区間なので、本当に飽きる程に次から次へとやってきたものです。
昭和50(1975)年4月6日 白老駅
四面折れのスノープラウの形状がよく分かります。
白老駅付近では列車を3本ほど撮影したものの、狙っていたようには撮れず、結局、これが一番まともな写真だったとか。(泣)
車歴は↓こちら。