ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D50 285

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20220308071032j:plain

f:id:railway-photo:20220308071043j:plain

f:id:railway-photo:20220308071101j:plain

昭和42(1967)年8月12日 岩見沢機関区

 

f:id:railway-photo:20220308071122j:plain

昭和42(1967)年8月13日 滝川機関区

 

f:id:railway-photo:20220308071213j:plain

昭和42(1967)年8月12日 岩見沢機関区

車歴は↓こちら。

D50285 機関車データベース (形式D50) - デゴイチよく走る!

この様に、様々な角度から撮影した写真というのは、色々な情報が確認できて非常にありがたいです。模型屋さんは随喜の涙、間違いなし。ひとつ欲を言えば、炭水車の背面も見てみたかったかな。

この機関車の顔を見てまず感じることは、除煙板(手摺付き)がわずかながら内側に湾曲していること。と、江別の鐵様が指摘しておりました。まるでドイツの機関車みたいです。決してSAMPUKU爺様のカメラのレンズが歪んで描写した訳ではありません。また向かって右側の上部ステーにはツノの様な金具が見えます。何のためのもの?灯具掛け?

煙室扉の二つの出っ張りエクボは左右非対称。ん~、裏が気になります。煙突はパイプに交換されています。

前端梁にはボルト孔がありません。スノープラウはどうやって取り付けていたのでしょう。

後部標識灯は1灯のみ。逆向き運転をしないのであればOKなのでしょう。

砂箱ドームを見ると、角の丸味がいささか小さいのは汽車會社製の証。その前にはボイラーを跨ぐ梯子がありますが、これは設計変更により砂箱の後方で製造されたはずなのが、敢えて旧設計の前方に移設されたんだとか。

キャブ側窓は2枚だったものをつなげて1枚の大型窓に改造しています。

動輪に目を向けて、数えやすい第四動輪のスポークの本数を数えてみると15本あります。前期のロットでは14本の動輪を履いていたそうです、実際、25号機や55号機で数えてみると14本のようです。本数の多い方が強度的に有利なのでしょう。因みに他の形式のも数えてみるとC50:17本、C51:17本または18本、C52:14本、C53:17本、C54:18本、C55:18本、C56:14本となっていました。スポーク動輪は見た目は美しいですが、強度的にはD51などが履くボックス動輪の方が有利とのこと。