ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年8月28日 厚狭機関区

車歴は↓こちら。

D518 機関車データベース (形式D51) - デゴイチよく走る!

エプロンが丸味を帯びている台形なのがちょっとユニークかも。

除煙板前端の手摺ですが、外側と内側とで上端に段差が付いています。なぜこんな。

給水する作業員はノーヘルですが、この時代はこんなもんでしたかね。今は転轍機を切り替える時にもヘルメットは必須。まあ、転轍機を切り替える作業自体、今はもうなかなか目にしませんが。

キャブ側面では、前に飛び出たナンバープレートが目につきます。九州機の特徴のひとつがそのまま残っています。タブレットキャッチャーを装備していた頃に前方へ移設されたものでしょう。なんせ側面積が小さく、他に移設できるスペースなどありませんので。側窓を見るとガラス窓を外していますね。夏なので換気促進のための措置でしょうか。

炭水車背面の漏水管は、給水口から溢れて炭水車上面に溜まった水を排水するためのもののようです。大雨が降れば上面には雨水が溜まるし、雪国なら積もった雪が解けて水溜りになるし、そうしたものも排水するようです。でないと、運転中に水溜まりがチャプンチャプン揺れて外へ飛び散ってしまいますね。炭水車をキチンと捉えた写真はほとんどなく、漏水管は他にどのような位置にどんな形状で取り付けられていたのか、なかなか知ることが出来ません。それにしても後部標識灯を埋め込むメリットって何かあるのでしょうか。

ところで炭水車の台車なのですが、画像では分かりにくいながらオリジナルの鋳鋼製ではなく、板台枠のものに履き替えています(炭水車を交換したのかも)。