ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 394

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月13日 滝川機関区

 

昭和47(1972)年6月14日 岩見沢第一機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51394

正面の変化の具合がよく分かります。

補助灯の追加、「架線注意」札の貼り付け、除煙板の切り詰め、点検口の蓋の有無、フロントへのコの字手摺の追加、排障器の変化など。

苗穂工場担当機関車に見られる、ドーム前の扇形手摺が見えませんね。

この頃の北海道では機関区の事務所を訪れれば、撮影許可はすんなり下り、比較的自由に撮影できました。自由過ぎて、無断で侵入しても、余程危険な行動をしない限り、注意されることはなかったようです。苗穂機関区のようにヘルメットを貸してくれるところは許可の有無は判断できましたが、滝川区や岩見沢第一区のようにヘルメット無しで撮影できたところは、いちいち事務所で許可をもらわなくても撮影できるというのが実態でした。そういうところにつけ込んで、部品を盗む悪党が出現し出すと機関区としては業務に支障をきたす由々しき事態とばかりに、撮影不許可となってしまった機関区もありました。いつの時代にも、ろくでもない連中はいるものです。