SAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年8月13日 滝川機関区
補助灯取付・除煙板切り詰め施工前で、除煙板の点検口は蓋付きです。
昭和50(1975)年2月2日 遠浅→沼ノ端
正面ナンバープレートが差し替えられています。
苗穂工場製なのに、ドーム前の手摺が苗穂工場タイプではありません。
昭和50(1975)年10月26日 滝川機関区
夜間撮影は魅力的ですが、当時、三脚を持っていない私は、友人から借りられた時だけバルブ撮影してました。ありがとう、K君。
滝川から単機回送されてきました。この後、転線して上砂川支線に移動します。滝川から直接、上砂川支線に乗り入れはできません。
スノープラウの折れ形状とその支持金具の状態が分かります。
苗穂工場製でず~~~っと北海道に居ながら、キャブは密閉化されていません。結局、施工するしないの基準は何だったのでしょうね。
そのキャブ側面のナンバープレートは古いタイプのまま。炭水車背面のプレートも古いもの。正面のだけ作り直したのでしょうか。
旋回窓は機関士側だけ。
不明 砂川駅(函館本線、上砂川支線)
時系列として上2枚は順番が逆です。組成の終わった返空の貨車へ561号機が先頭に連結された、という流れでしょう。
画面の左端に写り込んでいるキハ17+キハ22の2両編成は、ホームに横づけしていないようです。なんせ上砂川支線は、日中の10時から13時まで旅客列車は走りません。
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