ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 415

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年10月 浜田機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51415

「長」なる区名札は長崎ではありません。長岡でも長野でもありません。長門機関区です。発足当時は正明市(しょうみょういち)機関庫と呼ばれていました。機関庫の最寄り駅が正明市駅でした。正明市は正明という「市」なのではなく深川町にあった「正明市」という江戸時代の市場町(いちばまち)だった頃からの地名です。昭和29(1954)年の昭和の大合併により深川町を中心とした長門市(旧)が誕生したのですが、駅名ならびに機関区名の改称はそれから8年後の昭和37(1967)年のことです。しかし、正明市機関区が長門機関区に改称されたのに対して駅名は長門市駅となったのはどういうわけでしょう。想像するに、山陰本線には「長門〇〇」という駅名が幾つもあるため、長門の本家はここだぞという主張のために「市」を付けたのではないでしょうか。長門市駅美祢線の接続駅でもありますが、長門機関区所属のD51の運用は山陰本線の下関~浜田間です。また、長門市駅からは仙崎駅までの1駅区間、わずか2.2kmの支線が分岐しています。ここには美祢線からの直通列車が設定されているのが面白いです。

さて、415号機。キャブ下周りのパイピングは機関車によって異なっているようですが、それについては触れません。ほぼ知識ゼロなので。それにしても、キャブ側面のガラス窓はどこへいったのでしょう。