ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 1022

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区

前回の1021号機に続く門デフ装備機ですが、1022号機ではK-1タイプとなっており、ちょっと泥臭い印象です。しかしD51には、この洗練されていない構造の方が似合っているような気がします。偏見かな?エプロンがないことも、1021号機との印象の違いになっているでしょう。

 

炭水車背面は、漏水管や多めのステップなどでちょっと賑やか。

 

昭和47(1972)年8月28日 南大嶺駅

鳥栖区から厚狭区へと移り、美祢線で貨物運用に就く傍ら、南大嶺~大嶺間の支線に設定された客車列車の運用もこなしていました。もともとは大嶺にあった炭鉱から石炭を積み出す目的で山陽鉄道が建設した路線なのですが、戦後国有化され大嶺線となりました。それから延伸されて山陰本線と接続した後に美祢線となります。良質の石炭を産出することで炭鉱も美祢線も大いに栄えましたが、エネルギー革命により炭鉱は閉山、そして貨物運用は激減。旅客列車がDC化される昭和48(1973)年2月までは、D51がたった1輌きりの客車を(稀に貨車を連結した混合列車になることも)牽引する何とも侘しい光景が見られたと言います。終点の大嶺駅には転車台がないため、大嶺へ向かう下り列車ではD51はバック運転を行っていました。運用上の都合とはいえ、C12で事足りる運用にD51を当てるというのは、実にもったいない話です。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D511022