ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 475

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月1日 直江津機関区

 

昭和43(1968)年6月2日 糸魚川駅

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51475

車歴表によると、福井区時代に敦賀式の集煙装置を載せたものの、その後、松任式に載せ替えたとのこと。その後という時期は極めてあいまいですが、糸魚川区に異動してからとも考えられますが、集煙装置は損傷が激しいものらしいので、福井区時代にすでに交換されていたのかもしれません。

集煙装置、ドーム、重油タンクをケーシングで一体化したら、スーパーなめくじになるかもしれませんね。幅を広くしなくちゃいけないから、ウルトラなめくじかも。

除煙板には吊り用の孔があるのに、吊環まで用意しています。担当工場の都合でこうなったのでしょうか。

排障器は排障板を2段構えにしています。

通常、発電機とともに非公式側に設置されるATS用発電機が、公式側に設置されています。どんな理由があったのでしょう。同じ糸魚川区の450号機も、公式側の画像はありませんが、非公式側の画像では発電機しかないので、同様だと思います。鳥取区の322号機や334号機なども集煙装置と重油タンクを載せていますが、こちらは非公式側に載せています。

炭水車の増炭枠は立っ端が高目です。