ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 620

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年9月20日 鳥取機関区

前端梁の灯具掛け、蒸気排気管カバーなど原設計のままの箇所がある一方で、鷹取式集煙装置、リブ付きエプロン、斜め張り出し旋回窓などの目立った変更箇所もあります。キャブ側面ナンバープレートは、タブレットキャッチャーを避けて低めの位置に移設。空気作用管の上方には、集煙装置の天窓開閉を空気で行うため、その空気管が這っています。

 

集煙装置は新品に交換したのでしょうか。エプロンは小型なものになりました。

給水温め器には本物の飾り帯が輝いています。ありがちな煙室扉ハンドルを金色に磨き出すことはやっていません。

 

ナンバープレートは正面、キャブ側面とも盗難防止の棒鋼がボルトに溶接されています。

 

「さよならSL石州号」牽引のために整備されました。

前位はD51 488。

https://railway-photo.hatenablog.com/entry/2023/01/01/094530

 

昭和50(1975)年1月15日 米子機関区

自動車でも黒光りする車体というのは気品がありますが、蒸機のような大型でディテールが複雑なものは、工芸品のような美しさと威厳が加わります。

キャブ屋根上の蒸気は、タービン発電機の消音器から噴き出しているもの。

 

昭和50(1975)年1月15日 益田支区

無事に運転を終え、この後、浜田機関区へ帰投するため給水中。

廃車後は鳥取県大山口駅前に保存展示されるも、大山町の財政難から保存を放棄。大山町は無償譲渡を募るも応募がなかったのでしょうか。なんせ、一括譲渡が条件で部分譲渡は認めないということだったので、そうなると本体価格がゼロであっても輸送費だけで莫大な金額になります。結局、解体されることとなったものの、隠岐の会社の社長が動輪とロッドのみ買い取ったらしく、それを左右二つに分割し、公式側を島内の銚子ダム公園に、非公式側を町立図書館前に保存したそうです。両者ともコンクリートの壁に張り付くようにセットされた状態での保存となっています。その社長が会社の経費で購入、設置工事をしたものなのか、それとも自費で賄ったのかは不明。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51620