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昭和42(1967)年3月26日 亀山機関区
集煙装置の前部は穴が明いたように見えますが、もしかするとゴミかもしれません。
前端梁のは本当の穴です。
後部標識灯はこの位置が原設計。でも、担いバネカバーにも灯具掛けが用意されています。お好きな方をどうぞってとこでしょうか。
向って右側の除煙板手摺の上端が段違いになっています。うっかりなのか意図したものなのか、真相やいかに。
昭和44(1969)年3月5日 竜華機関区
空気作用管が手摺の陰になるように控えめに這っています。それだけで缶胴回りがスッキリ見えます。
奈良運転所時代と竜華機関区時代の姿になりますが、両者で装備の違いはないように見えます。竜華区時代は城東貨物線などで活躍し、城東貨物線では吹田第一機関区の機関車とも顔を会わせたことでしょう。昭和44年3月31日付の配置表を見ると、竜華区のD51は9輌おり、全機集煙装置を載せていました。関西本線の運用があったからでしょう。
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