ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 162

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月1日 糸魚川機関区

 

昭和42(1967)年8月1日 直江津機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51162

重油タンクを装備していますが、集煙装置は載せていません。

ボイラーとランボードの接触部には原設計のカバーをそのまま残しています。

ドーム前には、大きな手摺を設ける親切設計。いつも思うのですが、ボイラーって触っても熱くないのでしょうか。ケーシングしているとはいえ、金属ですから熱は伝わりやすいですよね。

炭水車の増炭枠はタッパが高目でしょうか。重油タンクを積んでいるのに食いしん坊。

入換手の姿勢を見ると、除煙板に2本の手摺を設置した理由が分かります。外側のは乗降用、内側のが入換用、そんなところでしょう。そういうことなら、北海道の切り詰め除煙板+フロントのコの字手摺は大いに意味があり、断然入換しやすそうです。どうでもいいですが、向かって左側の除煙板、手摺上端から上に向けて少し斜めにカットしてません?