田中 泰三様と河村義朗様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年3月27日 稲沢第一機関区
正面ナンバープレートが低い位置にあること以外、これといって特徴的な箇所が見当たりません。まあ、エプロンの下面が折れているのは珍しいケースかもしれません。
公式側の除煙板上部ステーがちょっと曲がっています。非公式側は真っ直ぐ。
昭和43(1968)年3月27日 稲沢第一機関区
丸1年経過して、いささかくたびれた姿に変わってしまいました。
公式側の除煙板上部ステーが真っ直ぐになっています。
昭和43(1968)年6月10日 稲沢第一機関区
くたびれた姿も、全検を受けて再びピカピカに。
しかし、公式側の除煙板上部ステーが再び曲がってしまいました。一時的に除煙板を交換していたのでしょうか。
車入れの際に動輪の位置合わせに書かれたマーキングが残っていますが、第三動輪だけなんかずれているように見えるのは気のせいでしょうか。
昭和44(1969)年2月21日 稲沢第一機関区
連結器の上方を這うのは列車ブレーキ管。牽引される客車や貨車とを結ぶブレーキホースに接続し、キャブ内の自弁(自動ブレーキ弁)を操作すると、圧縮空気がブレーキ管から被牽引車のブレーキ装置へ送られ、列車全体にブレーキが作用する仕組みです。多くの機関車では端梁の裏側に列車ブレーキ管を通しており、表面を這わせるケースは少ないです。
中津川区に異動し、お決まりの集煙装置を搭載しています。除煙板の上部ステーはまた真っ直ぐになりました。
正面ナンバープレートには盗難防止措置が施されています。「5」の書体が特徴的です。
向って右側にも後部標識灯が設置されましたが、その灯具掛けの形状が変わったように見えます。
昭和46(1971)年6月26日 稲沢第一機関区
札差しの左側にある縦2個の円形は何なのでしょう。タブレットキャッチャーの固定跡でしょうか。製造銘板跡の補修塗装も気になります。
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