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昭和47(1972)年6月18日 鷲別駅付近
誕生からおよそ20年間は西日本や九州で活躍し、最後の10年間は北海道で任務を全うした機関車です。追分区に配属されたことでギースル装備となりました。
背後に見える照明塔は東室蘭操車場のものでしょうか。
昭和47(1972)年6月18日 鷲別機関区
キャブの密閉化はなされていません。施工実施の有無の基準は何だったのでしょうね。
準戦時型の括りに入ってはいませんが、かまぼこドームなどに準戦時型に準じた部位が残ります。準戦時型も戦時型も、戦後に標準化改装により姿を変えています。戦時下では車輛の写真を撮ることさえ憲兵や警察の目が光っていてはばかれるもので、加えてフィルムの調達も物資不足で容易ではなかったでしょうから、登場時の姿はほとんど記録されていません。(落成時の写真は、全機が撮影されたわけではないでしょうね。)
そのため、オリジナルがどんな姿だったのかは想像の域を出ません。
昭和50(1975)年3月16日 沼ノ端←遠浅
室蘭本線でよく見られた運炭列車。夕張鉱からの石炭を室蘭港へと輸送していました。
昭和51(1976)年9月27日 小樽築港機関区
安物のシグマのミニズームで撮影したため、フレアが出まくりです。今でこそシグマのレンズは高い評価を得ているようですが、このレンズは本当に酷かった。因みにビデオカメラでもSONYのUVW-100という一体型ベータカムSPの業務用ビデオカメラに付属していたCanonの13倍ズームレンズは、ビデオカメラ雑誌でゴミレンズと言われるほど酷いレンズでした。あのCanonですら付属品とはいえゴミレンズを作っていたんですね。ビックリガッカリです。
昭和47(1972)年に先輪はスポークでしたが、この時にはディスクタイプになっています。解放テコ受けの捩じり方は標準的なものになっています。
繰り出し管は、公式側は1段折れなのに対して非公式側は2段折れ。なぜこのような違いが出るのでしょうねえ。空気圧縮機からの近さを考えれば、むしろ公式側の方を2段折れとすべきと思うのですが。よ~わからん。
引退後は倉敷市で保存中。最近の状況は分かりませんが、比較的良好な外観に対して部品の欠損が目立つとのことで、せめて煙室戸のハンドルくらいは付けて欲しいですね。
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