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昭和42(1967)年8月6日 苗穂機関区
道内への転属が遅かったためか、キャブの密閉化工事は実施されておりません。
煙室戸周りのコの字型手摺と、1段折れの繰り出し管以外、準戦時型を連想させるものは見当たりません。その繰り出し管の先端部分には空間の余裕がありそうなのにもかかわらず、油ポンプ箱はデッキの上に移設されています。
昭和42(1967)年8月10日 長万部機関区
隣にはC62の姿があります。
昭和42(1967)年8月17日 鷲別機関区
職員の方は旋回窓を整備しているようです。鉄道車輛の部品というのは、取り外すと意外と大きいものです。それにしてもわざわざ取り外して作業をするんですね。重たそう。前照灯のレンズを固定するピンが外れていますが、これも整備する所なのでしょうか。
昭和46(1971)年2月7日 苗穂機関区(再掲)
隣にキャブだけ写る629号機は未掲載のナンバーです。これだけでは流石に記事はキツイです。
除煙板の切り詰めとフロントデッキ手摺の設置、補助灯とエプロンの取付、清缶剤送入装置の撤去など、非密閉キャブながらもすっかり北海道仕様となっています。
947号機は「今日限りの汽笛 D51 947」という、最後の運用をルポするドキュメンタリー作品に登場します。昭和55(1980)年11月、「北海道鉄道百年記念」行事で、小樽~札幌間にC56 160牽引の記念列車が運転されましたが、それに関連して、この作品の監督である井上和男氏が、北海道七飯町の山の中で、荒れた状態のまま放置された947号機と再会するという特集番組がありました。道内ではUHBだったかと。その番組の中で監督は、錆付いた947号機を眼前に複雑な心境を語った後、この作品が放映されました。当時はウチのテレビのUHFの電波状態が非常に悪く、泣く泣くノイズだらけの映像のままVHSに録画したものです。この作品はVHSビデオで市販されました。
現在は宇都宮市の三和デッキという会社内で保存されており、手入れも十分に行き届いた状態だそうです。
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