田中 泰三様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮下さい。
昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区
かまぼこドーム以外、標準形改装されています。
番号板の上にあった灯具掛けが下に移設されています。
切り詰め除煙板の点検口から蓋が撤去されました。
昭和47(1972)年6月14日 岩見沢第一機関区
番号板の左上にある灯具掛けらしき部材は何のため?
昭和47(1972)年6月18日 鷲別機関区
昭和25(1950)年に北海道にやってきているのに、キャブは密閉化されていません。配置が五稜郭で、運用範囲が極寒というほどではなかったと判断されたからでしょうかね。
昭和50(1975)年8月 遠浅←沼ノ端
夏だけどスノープラウ装着。ブレードは4面折れですね。
ちょー有名なお立ち台から。この当時、苫小牧~岩見沢間の室蘭本線は、優等列車こそ走らないものの列車本数上は幹線然としており、運炭列車や車扱い列車を牽引するD51がしょっちゅう見られ、3時間も居れば飽きてしまうほどでした。また旅客列車はC57に代わってDD51が徐々に進出していた時期でもあります。
今なら貨車1輌1輌もきちんと撮りたい思いに駆られます。
車歴は↓こちら。