ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 1019

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和42(1967)年3月26日 亀山機関区

除煙板は手摺が標準タイプと異なっています。標準はお隣の65号機のもの。

戦時型とナメクジを並べてみてみると、同じ形式とは思えませんね。(キハ183形式のように番代によって顔も性能も異なるものもあるので、珍しいことではありませんが。)65号機の担いバネカバーには重しのコンクリートブロックが載ったままです。1019号機も、木材代用によって重量が軽くなった分、コンクリートブロックを載せて軸重をカバーしていたはずです。しかも給水温め器は非搭載で、砂撒き管は片側2本ずつ、またランボードは空気圧縮機や給水ポンプの箇所でブツ切され、その上部は省略されるといったわびしい姿で。戦時下のため、そんな姿はほとんど写真に記録されていませんが、(汽車の写真を撮ろうものなら敵国のスパイと見なされ、警察や特高にたちまち捕まってしまう。)戦後になって、わずかに記録された写真がその事実を伝えています。

キャブ機関士側の前窓は、前方上斜めにせり出たタイプになっています。「蒸気機関車の角度(機芸出版社)」を見ると、同じく亀山区にも竜華区にも居た934号機(ブログ未掲載ナンバー)も同様の窓になっています。

車歴表では「前照灯をLP405に交換」ってなってますが、画像のはLP403です。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D511019