ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 1149

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月8日 池田機関区

池田機関区時代です。番号板上方にまだ灯具掛けはなく、ちょっとスッキリした印象です。ドーム前手摺は釧路工場製。「架線注意」札はまだありません。

 

昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

短期間に終わった三つ目時代。苗穂工場で整備を受け、ドーム前手摺も苗穂工場製に交換されています。何人もの職員が転車台の上におりますが、何かあったのでしょうか。

 

昭和47(1972)年6月16日 苗穂機関区

左端の電柱に落書きされた「春斗ガンロー」って何じゃ?「マ」抜けな「バ」抜けですな。でも「バ」が加われば「バ加」。炭水車の前照灯の庇は、Πの字型のように見えます。炭水車下部、台車の間にある突起物はATS車上子。

 

昭和50(1975)年3月7日 滝ノ上←川端

夕張へ向けて、セキ車の返空列車。この当時、まだ滝ノ下信号場はありませんでした。

 

昭和50(1975)年12月14日 岩見沢第一機関区

「1」の間隔が狭くなく窮屈感がありません。札差の枠は太目。

雨樋を兼ねた出入り台の手摺の形状が異常です。本来、「5」の字型タブレットキャッチャーとの干渉を避けるための屈曲位置が随分下にずれています。

 

昭和51(1976)年3月4日 小樽築港

廃車後は滋賀県多賀町でSLホテルとして活用されましたが、ホテルの廃業により放置。「D51999」というインチキ番号板を掲げて荒れ放題になっていたところに2年前、愛知県豊田市在住の「がむしゃら親方」が引き取り整備しているとのこと。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D511149