田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様と’撮り人不明’様の画像の転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年7月6日 五稜郭機関区
四国に僅か10カ月ほど籍を置いた後、渡道してきた機関車です。四国時代の名残があるのかどうかは分かりませんが、除煙板の上部ステーの取付方が特異です。
サイドステップは斜材で補強しています。
昭和42(1967)年8月10日 長万部機関区
昭和49(1974)年3月17日 岩見沢第一機関区
除煙板の点検口蓋は撤去されています。油ポンプ箱はランボードの上に。
密閉キャブ化とそれに伴う炭水車端面のテーパー化。増炭枠はありませんが、石炭を山盛り積んでいます。もともと炭水車のタッパが高目なので、増炭枠は必要なかったのかもしれません。たとえば1023号機と比較してみると
1160号機の炭水車上端の高さは1023号機の増炭枠の上端と同じ高さになっています。
1052号機や1078号機も1023号機同様に気持ち程度の増炭枠を設置しています。
増炭枠未設置でタッパ高目の船底式炭水車は他に幾つも例があり、1160号機固有の特徴というわけではありませんが、どうしてこのように寸法に違いが出たのでしょうね。
昭和50(1975)年8月 栗山駅
ちょっとイビツなスノープラウを装着し、真夏の栗丘駅を通過します。
いよいよD51は次回のラストナンバーで終了します・・・ということにはなりません。
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