田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年8月11日 五稜郭機関区
前照灯は標準的な位置に設置されていますが、後に北海道機らしく、炭庫仕切り板に移設されます。
昭和43(1968)年11月3日 五稜郭機関区
吹田区時代に集煙装置を搭載した時の名残の梯子が缶胴サイドに残されています。
煙室戸の四つ穴取輪が北海道では珍しいかも。
ランボードスロープ上端にあるはずの「つ」の字型支持金具が撤去されています。
脇に打ち捨てられた解体部品やその奥に見える奇妙な車輛?が気になります。
扇形車庫が見えますが、昭和44(1969)年6月に火災で焼失してしまいます。
昭和47(1972)年6月13日 五稜郭機関区
五稜郭区所属のD52は4輌だけがキャブを密閉化されましたが、それ以外には防寒用カーテンが設置されました。カーテンでサイドを遮蔽しても、ぽっかり空いた後妻からの寒風はやはり厳しかったでしょうね。
キャブ側窓は角にアールの無いタイプ。キャブ前方下端は斜めにカット。
昭和48(1973)年3月 大沼駅
D52は貨物用の機関車ながらも、客車も牽いています。軽い仕業とは云え、仁山越えの補機運用も加え、充実した日々を送っていたことでしょう。
因みに戦時中は倶知安迄、軍用列車を牽いて入線したといいます。戦時下は無茶がまかり通りがちです。
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