ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D52 400

SAMPUKU爺様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月11日 五稜郭機関区

ステップ形状、前照灯の位置、吊りピースなど、北海道スタイルが垣間見えます。

 

昭和43(1968)年2月11日 五稜郭機関区

雪こそほとんどないものの、冷気により蒸気が充満しています。撮影には厳しく、外観的特徴は蒸気まみれでよく分かりません。

蒸気機関車設計図面集」によれば、D52には「運転室防弾改造組立」の図面が掲載されており、改造要領には

1.運転室側板内側面ニ防弾材及ビ防弾材(コンクリート)ヲ設ケ、側窓前方ハ防弾板ノミヲ取付ケル。

以下6項目の解説があり、要約すれば乗務員を敵戦闘機による機銃攻撃から守るためにキャブ全方位(屋根も後妻も)を防弾材で取り囲む、ということのようです。ただし屋根については防弾材を設置するにのは腰掛上方部だけなので、機関助士が投炭時に攻撃されると貫通弾にヤラれる恐れがあります。「改造」とある通り、戦時設計とは別物のようですが、他の形式にも防弾改造図が存在したのかどうかは分かりません。実際に施工されたという事例は書籍に見当たりませんし、終戦直後の写真にも防弾材を屋根に設置したD52の姿は見つけられないので、C63のように図面だけで終わったものと考えられます。そもそも「お国のために死ね」というご時世に、しかも物資欠乏の状況下で乗務員を機銃から守るという発想は、軍事政権からは絶対に生まれないでしょう。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D52/D52400