ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D60 33

SAMPUKU爺様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 33は元D50 317

D50 317の車歴は↓こちら。D50 317は旧機番無し。

http://d51498.com/db/D50/D50317

昭和42(1967)年12月9日 鳥栖機関区

31号機、32号機と同じ除煙板かと思いきや、標準型のそれと同じく手摺が付き、前端部に補強のリブがあります。前端部の斜めカットも、少しだけ浅めです。

パイプ煙突は、まだD50であった釜石区時代に郡山式集煙装置を搭載した関係かなと思いましたが、集煙装置の搭載が始まった昭和27(1952)年にD50 317号機はD60 33号機に改造されているので、それは勘繰りのようです。

 

昭和43(1968)年3月17日 直方機関区

ランボードが後ろ半分で少し高くなっているのは、元空気溜めを据えるための措置です。

当初から空気制動に対応していたD50は(それまでは真空制動方式)、焚口扉を圧縮空気により開閉させる動力式としました(手動開閉も可能)。当初は水平に二分割された蓋を上下方向に開閉するヴァーチカル式を採用しましたが(「ひょっこりひょうたん島」のキャラクターたちが、唇を上下に開閉してしゃべるあの動きです)、その後、頂点を軸に左右に開閉するバタフライ式に改められ、これが標準形式となりました。構造が簡単で、手動時にも扱いやすいというのがその理由でした。中・小型の機関車では、チェーンを持って丸い蓋を上に開く構造ですね。一般的にはバタフライ式を最初に採用したのは輸入機関車の8200形式(後のC52形式)と言われていますが、それより前の9900形式登場初期の図面にはバタフライ式焚口扉が描かれており、これが定説を覆す根拠となっています。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6033