田中 泰三様とSAMPUKU爺様と'撮り人不明'様の画像につき、転載はご遠慮ください。
D60 67は元D50 228。
D50 228の車歴は↓こちら。D50 228の旧機番は29927。
http://d51498.com/db/D50/D50228
昭和43(1968)年3月21日 大分運転所
パイプ煙突、K-7タイプの門デフとその下部取付方がマイナーな形、缶胴周りの梯子は原設計のまま、キャブ前窓に庇無し。
給炭設備は機関区によって様々な構造を呈していますが、機関車の配置が多いほど大型化するのは必然でしょう。大型のD60すら圧倒される規模の給炭設備です。給炭設備の脚の陰になって判別できませんが、キャブ側窓は原設計の2枚窓です。
昭和46(1971)年3月5日 直方機関区
同じK-7タイプの門デフと云っても、本機のように吊り用の穴が明いているタイプもあれば、吊環を溶接しているものもあります。で、公式側の除煙板の斜材が折れています。いや、折れているというよりも、少し幅広の平板で斜材と下部材とを補強しているといったように見えます。他のサイトの画像で確認すると、昭和45(1975)年3月の時点では正常な形状で、同年7月31日にはこんな状態になっています。その間に何があったのでしょうね。
昭和47(1972)年3月5日 折尾~中間
お馴染みの4線区間を往く運炭列車。九州で使用された2軸の石炭車にはセム4000、セム4500、セム6000、セム8000、セラ1の各形式がありました。無蓋車の後に連なるのはどの形式なのでしょう。手入れが行き届いていることで有名だった九州の機関車も、労組の違法ストによる落書きで炭水車の側面が汚れています。
車歴は↓こちら。