ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D60 65

SAMPUKU爺様と'撮り人不明'様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 65は元D50 191。

D50 191の車歴は↓こちら。D50 191の旧機番は19990。

http://d51498.com/db/D50/D50191

昭和43(1968)年3月21日 大分運転所

大分運転所を最後に去ったD60です。

K-7タイプの門デフと化粧煙突の組み合わせが新旧のコントラストを爽やかに描いています。ところで今更ですが、化粧煙突って機能的には何の意味があるのでしょうね。ただの飾りに過ぎないように思えてなりません。EF58 61号機の長いステンレス帯のような。

キャブ側窓は2つに分かれたD50のオリジナル形で、349号機までこのタイプだったようです。350号機以降は、2つの窓をひとつにしたいわゆる大窓と呼ばれるタイプで、2つ窓の中にも後年、大窓に改造されたものがあります。更に大窓には細長いタイプと上下の寸法大きく取ったタイプなどがあり、加えて肘掛状の手摺を窓下側に設置したもの(48、62号機など)があるなど、窓の分類もなかなか一筋縄ではいきません。

 

昭和47(1972)年3月5日 筑豊本線 折尾~中間

直方機関区のD60の主たる職場は筑豊本線。牽引される貨車はセキ1000形式とセキ6000形式でしょうか。筑豊本線の複線と、中間駅から分岐し鹿児島本線の東折尾貨物駅へ向かう複線とが並ぶ区間に、当時の運炭列車の高密度運転が偲ばれます。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6065