ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

18677

田中 泰三様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

ヒロシです」とつい口に出てしまう「弘」の区名札。キャブ側窓はオリジナルの2枚窓。

昭和47(1972)年5月23日 弘前運転区

この頃、五能線で客貨の牽引にあたっていました。漏水管と並んで梯子は右側、リアステップ左側は入換手用の手摺付きです。左右でリアステップの取り付け方に違いがあるのは梯子のせいでしょうか。番号板下の形式板には「450立方呎」と表記されているようです。「呎」は「尺」ではなくフィートのこと(1尺は30.3cmで1呎は30.48cm)。450呎は0.3048×0.3048×0.3048×450で12.7立方mとなり、後に炭水車の形式は「6-13」(石炭6トン、水13立米)とされています。

 

昭和48(1973)年1月 川部駅

画像では分かりにくいですが、煙室が延長されています。キャブ屋根も延長されています。番号板上の「架線注意」札は大きくて目立ち過ぎです。目立った方がいいのでしょうけど。スノープラウには白ペンキで「1~77」と「86」が端折られて表記されています。そこ手を抜くところ?

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/18677