ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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昭和45(1970)年9月2日 早岐機関区

K-7タイプの門デフ装備機。パイプ煙突が軽快感を高めているかも。

この前年、松浦線伊万里~平戸口間38.2kmで48647の次位につきお召列車を牽引した名残でしょうか、煙室戸ハンドルとフロント手摺、解放テコが磨き出されています。もともと8620形式は急行用の旅客用機関車として開発されたもので、検修の現場からも高い評価を得、そして全国に配置されていたこともあり、お召列車牽引の実績はC51に負けない程です。

 

昭和45(1970)年9月2日 佐世保駅

暖房管を前端梁まで引き回しています。客車をバックで牽いても、これで暖房用の蒸気が送れます。現在の佐世保駅とは別世界でしょうね。LP403がいささか重そうです。

キャブ前妻の丸窓の縁取りもお召用に磨き出されたものでしょうか。側窓は原設計の2枚窓で、ガラス窓が開閉できる後ろ側のみ庇が付いています。シリンダに注目すると、公式側にある空気弁が非公式側にはありません。ないのが原設計です。

 

昭和45(1970)年9月3日 伊万里機関支区

かつては伊万里支区にも8620が廃止されていました。松浦線には佐々~臼ノ浦(うすのうら)の臼ノ浦線肥前吉井~世知原(せちばる)の世知原線なる盲腸線が存在していましたが、共に昭和46(1971)年12月26日に廃止されました。

ランボードは2段化されていますが、キャブ裾は原設計のままのようです。

 

昭和45(1970)年9月3日 伊万里

松浦線には気動車列車の他に客車列車も運転されていましたが、ハチロクの運用がどうなっていたのかはまだ調べておりません。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/28629