ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年3月18日 鹿児島機関区

出水区時代には鹿児島本線の熊本操車場~鹿児島間での運用でした。

キャブ側面のナンバープレートは突出しての取付。

他の方のブログの画像を拝見すると、炭水車の前照灯はLP42です。また後部標識灯は埋め込み式です。増炭枠は吉松区へ転属してからか、小さめに改造されます。

 

昭和46(1971)年2月18日 吉松機関区

吉都線の吉松~都城間で活躍していた頃。出水区時代と比較すると、排障器が原型通りの二段構えに戻されていますが、排障板は1枚多い。「架線注意」札も追加されています。同じ「吉」が付く機関区でも、吉松区と人吉区では運用線区の厳しさがまるで異なります。

ランボードのスロープにいい感じで陽が差し、菱形網目模様がよく分かります。これって、普通の鋼板にエキスパンドメタルを溶接しているのでしょうか。観察したこともなければ、それをキチンと撮影した写真にお目にかかったこともありません。

ところでいつも思うのですが、大雨の日など、煙突から煙室内に雨が降り注ぐことはないのでしょうか。走行中は常に排気されているから、それが雨の侵入を防御しているのかもしれませんが、駅や機関区などで停車している時にはそうもいかないでしょう。休車や廃車になるとよく煙突にカバーが掛けられていたので、そんなことが気になっています。

車歴は↓こちら。

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