matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。
昭和45(1970)年11月 湧網線
全検上がりでゼブラもくっきり。格調高い形式入り番号板は正面だけのようです。前照灯はLP42。キャブ側窓が2枚になっているのに驚かされます。
炭水車が特徴的で、上部サイドには手摺があり、キャブ側には覆いが設置されています。後部上面の切り欠きが小さめというのも珍しく、高い架台に載せられた前照灯も目を引きます。高い位置の前照灯は北海道機でたまに見られるもので、架台の構造は異なるものの29694、39687、49643、49648、59601などで確認できますし、道外のキューロクでも9678、19654、29600などが類似の構造となっています。
昭和48(1973)年11月25日 北見機関区
一休に指定された直後でしょうか、しかしそのまま翌年に廃車となります。
腰高の回転式火の粉止めの上には雨除けの蓋がしてあります。煙室戸のゼブラは跡形もありません。番号板の上方には灯具掛けだか道具掛けだかの金具が増設されています。前照灯はLP403となっており、左右でサイドステップの形状が異なる点にも注目。
廃車後、煙室戸は北見駅近くに設置された殉職碑のモニュメントとなっていますが、番号板の位置が幾分低めだったりその上方にあった金具が撤去されたり、また取輪が十字タイプに交換されたりと、現役時代とは雰囲気が異なっています。また第二動輪が旧池北線陸別駅近くの公園に保存されていますが、台座には形式入り番号板が埋め込まれています。現役時代は1枚しか装着していなかった形式入り番号板。どれかが、或いは全部がレプリカでしょうか。実際、このナンバーのレプリカがオークションなどに出品されているので、鑑定士が見ないと本物かどうかは見分けがつかないかもしれません。
追加画像(2024-09-23)
昭和45(1970)年8月 呼人→網走
時代は少し遡って、キューロク牽引の客車列車です。これがキューロクの定期運用だったのかどうかは分かりませんが、客車列車は朝と夕方に設定されていました。
車歴は↓こちら。