ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

79669

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和47(1972)年3月5日 後藤寺機関区

キューロクのラストナンバーです。炭水車の番号板だけ、ローマン書体の形式入りだったそうです。車籍だけについて云えば、79670以降のナンバーも存在しました。79670~79674は樺太庁鉄道の元D50形の1~5号機、79680~79688は樺太鉄道の元80形の80~88号機です。(79675~79679は空番。)いずれも昭和18(1943)年に鉄道省国鉄)へ編入された際に改称されたものですが、実際には旧形式番号のまま運用されていたようです。なので、実質79669がラストナンバーであることに変わりはありません。(D51も同様にラストナンバー1161号機の後に、台湾総督府鉄道向けに製造された5輌が、1162~1166号機として国鉄が一時期借り入れた例があります。)

九州機らしくリンゲルマン濃度計を装着し解放テコは片側タイプ。客車列車を牽引していた名残か、暖房管が前端梁まで引き回されています。

次回のキューロクの記事は私鉄のナンバーになりますが、最近、未掲載のナンバーのフィルムが発掘されたので、そのうちご覧頂けるかと思います。なお、過去記事でも量は少ないですが、その後発見された貴重な画像を随時追加しております。(昨日はC11 252の古めの画像をアップしました。)

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/9600/79669