ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

12系のことは、よう知りまへんがな

12系客車って、今はどうなっているのでしょう。北海道にはあまり馴染みのない形式で、せいぜい、青函トンネル開業後の快速「海峡号」の臨時運用に一時的に入ったり、身障者向け臨時ブルトレみどりの風号」に1両だけ混じっていたりと、いずれにしても札幌に顔を出すことはありませんでした。

昭和45(1970)年の大阪万博の臨時輸送用などを目的に作られた形式ですが、その後製造された14系客車、14系・24系寝台客車の基礎になりました。当初から冷房装置が搭載されており、スハフ12にはサービス電源を積んでいたので、冷暖房のために機関車を選ぶ必要はありませんでした。旧客や荷物車などとの混結でも、蒸気暖房や電気暖房を供給できるようにちゃんと引き通し管を用意してありましたし、また車体幅や腰掛の間隔も広くなり、居住空間にゆとりができて、この形式から車体長は20.8mを標準とするようになりました。波動用として製造されましたが、後に定期急行列車で旧客を置き換えたり、臨時の急行列車に充当されたりと、運用範囲を広げてゆきました。でも北海道にはなかなか来ませんでした。

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昭和57(1982)年8月1日 奈良駅
本州の駅では、あっちでもこっちでもよく見かけたような気がします。オハ1234という連番をどこかで見かけて喜んだことがあります。生まれて初めて「ゴキブリ」を見たのは12系客車のデッキでした。九州の夜行急行でした。

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昭和57(1982)年5月29日 上野駅
夜行急行「十和田」や「八甲田」「津軽」などに12系が大活躍。臨時急行「もりおか」なんてのもありました。画像の12系の列車は、はて?何だったっけ?

しかし時代は客車列車から気動車、電車へと進路を変え、余剰となった客車は改造されて生きながらえます。
その一つの代表がお座敷列車ではないでしょうか。旧客のスロ81系に代わりオロ12系が生まれます。他にジョイフルトレインへの改造も多々ありました。

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昭和58(1983)年7月17日 金沢駅
テールサインが付いているので、一見14系かと見間違えます。外観は特にちょされていないので、油断すると
普通の急行列車に見えます。国鉄は地味~がお好き?

国鉄分割民営化後も、東日本、東海、西日本、九州の各JRが、和式車(お座敷車)やジョイフルトレインに改造しまくっていましたね。「SLやまぐち号」や、だいぶ遅れて「SLばんだい物語号」のタネ車にもなりました。
一方、それとは対照的に、白帯を消して普通列車の運用に格下げとなったものもおりました。(白帯のままもありましたけど。)50系客車全盛期の頃、普通客車列車は非冷房が当たり前だったので、乗る方としてはお得感がありました。でも電車化が進み、比較的短期間の運用でした。

来春、JR西日本ではクルーズトレイン「トワイライトエクスプレス瑞風」がデビューしますが、動力車ながら展望デッキを備えているとのこと。そういえば、12系にもそんなのがあったような・・・と思って探してみたらありました。

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昭和62(1987)年2月7日 名古屋駅
やっぱり地味。それにしても駅撮りばっかなのは、その頃、臨時列車にあまり興味はなかったので走行シーンを全然撮っていませんでしたからあ、残ね~ん、斬り~、ふる~。

国鉄時代に改造され、ファンの間では通称「ナコ座」と呼ばれていたお座敷編成です。編成端はスロフ12形900番代。キッチリ、展望デッキを備えています。今ならビデオ撮影で人だかりになりそうです。

画期的な急行形客車でしたが、急行形気動車や急行形電車のように脚光を浴びることはありませんでした。やっぱあ、定期の12系急行よりも臨時の14系急行を選んじゃうよねえ。