ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

20系

20系といっても、151系電車の旧称号ではなく気動車でもありません。元祖ブルートレイン、20系客車のことです。なんて言ってみたところで、この形式も12系以上によく知りません。もともと九州寝台特急の形式であり、北海道とは無縁でしたから。それでも「ゆうづる」や「日本海」「あけぼの」などで青森までは顔を出しており、青函連絡船を使って北海道~本州を行き来していた人の中には、お世話になった北海道人も数多くいると思います。私も高校時代の修学旅行で乗車させていただきましたが、そんな北海道にはないハズの車両が、根室本線旧線跡の新内(にいない)駅跡に保存されています。存在は知っていたので、もう何年も前のある日、撮影の帰り道に、同行の友人たちと何気なく立ち寄ってみました。ただし見学しただけで撮影はしておりません。

20系客車の白眉とでもいいますか、そこ(今は「新内駅旧狩勝線資料館」となっているらしい)にナロネ22がおります。ルーメットと呼ばれた個室寝台と通常の開放寝台からなる合造車です。実物を見たことがなかっただけに、個室がどんな風になっているのか初めて中に入りました。

狭い・・・。

でも狭い中にも色々と工夫が施されており、後に581系寝台電車を開発しただけのことはあるなあと感心しきりでした。また、当時の青年男性の体型では、この大きさで十分だったのかもしれません。今なら狭過ぎな52cm幅の2等(B)寝台車でも「走るホテル」と絶賛されるほどでしたから。因みにルーメットは、ナロネ20で最初に導入されナロネ22は2番目ということになります。

寝台特急といえば、今でこそ全車寝台車からなる編成ですが、20系には当初、座席車もありました。当時の夜行列車の流れでそういう編成になったのでしょうが、後に座席車は寝台車に改造され、全車寝台の列車へと変貌します。因みに「北斗星1号」でも運転開始まもなくの一時期、座席車が1両だけ札幌方に連結されていましたね。もっともこれは正規の編成というよりも、予想外の混雑を緩和するための急場しのぎだったようで、函館~札幌間だけの運用で、貫通幌は畳んだまま、寝台車との行き来はできなかったそうです。

雑誌記事をもとに知った風なことを書きましたが、写真はほとんど撮っておりません。まあその中から腹の足しにもならないものを幾つか紹介します。

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昭和54(1979)年8月25日 あけぼの4号 青森駅

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昭和57(1982)年7月18日 臨時列車 由比→興津


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昭和61(1986)年7月20日 臨時列車 横浜駅

出さない方が良かった?他にも走行写真が若干ありますが、単にスキャンが面倒くさいので、次の機会があったらそこで発表させていただきます。え?イラネって?

JR東日本JR西日本が来春から運行するクルーズトレインは、「ななつ星」に対抗してなかなかのゴージャズぶりのようで、今から乗車に期待し、乗車資金をせっせと貯めている人もいるかもしれませんが、敗戦から10年、戦後の焼け跡がまだ残る昭和30年代前半に、颯爽と登場した20系に寄せる期待は、クルーズトレインごとき程度のものではなかったように想像します。画期的、斬新、革新的など、あらゆる美辞麗句を並べても並べ足りないほど、それまでにはない設備とデザインで、世間もマスコミもあっと言わせたと思うのです。戦争により施設も線路も車両もズタズタにされた国鉄が、世界の鉄道を研究し、日本の鉄道の復興に威信と矜持をかけたその象徴ではなかったのかと思います。
こだま形20系電車と共に、まさに20世紀の後半を飾るにふさわしい名車中の名車であったと、胸がふるえるのでありました。

でも、ほんとー狭いッス。

おまけ
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昭和57(1982)年6月5日 臨時列車 早川→根府川