ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

急行「宗谷」と「天北」

前回の予告通り、急行「宗谷」と「天北」の写真をアップします。といっても、札幌近郊で撮影したものしかありませんが。

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下り急行「天北」札幌→苗穂 昭和60(1985)年5月2日

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上り急行「宗谷」 厚別←森林公園 昭和60(1985)年5月2日

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下り急行「宗谷」 札幌駅 昭和60(1985)年5月3日
寝台車が付いてないじゃん!と叱られそうですが、共通運用の下り「宗谷」と上り「天北」に寝台車は連結されておりませんでした。

それまでキハ56系で運転されていた宗谷急行の「宗谷」「天北」は昭和60年3月のダイヤ改正で14系客車に変更されました。急行用車両から特急用車両に変わったことで、車内設備は向上しましたが、機関車牽引ということで表定速度はダウンです。でも寝台車も付いていることだし、寝てしまえば関係ないじゃん・・・と思って、一度だけ札幌から岩見沢まで「天北」の寝台車に乗車したことがありますが、明るいと案外眠れないものでした。もっとも眠ったが最後、岩見沢を乗り越しちゃうでしょ。
「利尻」はすでに14系化されていましたから、これで宗谷線旭川音威子府間には3往復の14系急行列車が走ることになりました。今から見れば、めくるめく夢の世界です。

しかしこの鉄道ファン垂涎の客車急行は長くは続かず、JR化後の昭和63(1988)年11月に「宗谷」と「天北」はキハ400系に置き換えられました。
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下り急行「天北」 札幌→苗穂 昭和64(1989)年1月7日

キハ400系は形こそキハ40・48ながら、強馬力機関により勾配区間をものともせず、所要時間を50分ほど短縮しました。繁忙期にはキハ56系の増結もあり、キハ56がヘッドマークを掲げて走る姿は、それはそれで魅力あるものでした。

日中に寝台車を連結した14系客車列車は、それ以前に走ったことがあります。小樽博覧会会場への輸送列車、臨時快速の「スリッピ号」です。急行「ニセコ」だって、たまに寝台車を付けて走っていたわい、というのはナシです。単なる回送だし。
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「スリッピ号」 小樽築港(会場前)駅 昭和59(1984)年8月17日

客車の「スリッピ号」は1.5往復が運転されました。(+0.5往復は回送)
寝台車が3両ありますので「大雪5号」~「大雪6号」の間合い運用だったのでしょうか。(寝台車は「利尻」が2両、「まりも」は5両が所定でした。)

定期列車から客車が消えるだなんて、想像もできなかった時代の出来事でした。