ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

やる気なしで

今日は「カシオペア」が札幌に来るそうですが、ウチには保険のお姉さまが来そうです。保険の設計書だかを持ってお越しになるようですが、「無駄です」「空振りします」「討ち死にします」とは言っているんですけどね。

カシオペア」は訓練運転だそうです。廃止前には、沿線に人が湧いて出ているのがイヤで全く撮影しませんでしたが、今日はもう面倒臭いので撮影に行く積りはありません。天気は最高で撮影日和ですけど、隣のPCでは今「北斗星」が1号から6号まで元気に走っているし、とにかく古いビデオ映像の整理を終わらせないことには、前へ進む気力が沸いてこないことでございますのよ。このブログは最新の列車運行情報などとは一切無縁ですので、一応お断りしておきます。後ろ向きに、ただひたすらに過去の世界へ記憶を辿って参ります。

古いビデオ映像と言っても所詮は1990年代以降のJRになってからのもので、格別あっと驚くようなものはありません。写真はもう少し古めで、蒸機末期から撮影していましたが、まあ下手っぴ~を絵に描いたような代物ばかりです(謙遜度75%)。そんな中から、このブログではちょっとずつご紹介させていただいているわけです。お目汚しで恐縮です。

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EF58は、旧型電機の中では群を抜いて人気の高かった機関車ではなかったでしょうか。私には「パック」とか何とか、歴史の年号暗記の語呂合わせじゃあるまいし、馴れ馴れしくもガサイ呼び方をするほどの厚かましさは持ち合わせておらず、当時すでに頭の固いジーさんへの道を歩んでいたようであります。
人気が高かったとはいえ、東北本線でまだEF57が急行列車なんかを牽いていた頃、当時すでに有名だった東大宮-蓮田(行ったことないけど)でカメラを構えていた鉄っちゃんの中には、共通運用のEF58がやってこようものなら
「なんだ58かよ!」
などと罵声を浴びることも珍しくはなく、EF58にはそんな黒歴史もあったそうな。実際その頃、EF58はまだうじゃうじゃいましたから、希少モノにしか興味のない者にはガッカリだったわけでしょうな。

EF58はまた、画期的な電車80系で一気に普及した「湘南顔」を持つ唯一の国鉄電気機関車でもありました。私鉄機関車の中には湘南顔は幾つかあったようで、定山渓鉄道のED500形もそうでした。後に長野電鉄に譲渡されましたね。

運転台の幅が絞られているのは、カーブした時に車両限界を侵さないためだと思いましたが、そのデザインがえも言われずスマートで好感が持てます。上の写真の釜は、運転台の窓がHゴム支持のものばかりです。EF58に煩い人の中には、Hゴムはダメだとかそういう上辺のことでケチを付ける人がいますが、デザインをダメにしているということなんでしょうね。まあ気持ちは分からんでもありませんがね、どうでもいいことじゃん。蒸機時代にも、クルクルパーが好かんとかゼブラ塗装は見苦しいとかシールドビームはアカンとか、色々と難癖つけるファンはあっちにもこっちにもおりました。自分の理想の枠から外れることを善しとしないのは、趣味の世界だから許されることであって、実生活でそんなことでイチャモン付けられては堪ったものではありません。

外部塗色が色々とあったのもまた特徴のひとつではないでしょうか。私は、ブドウ色と上の写真の塗色しか知りませんが、特急「つばめ」を牽引した時の黄緑色やブルトレを牽引していた頃のツートンなんかは実車で見てみたかったです。機能的には何の意味もない正面の弧を描いた飾り帯も美しく、明治の頃の美しい姿の輸入蒸気機関車と共通の、単なる車両ではないという鉄道員の思い入れが込められているような気がします。飾り帯はその後の新性能機関車や特急電車、特急気動車でも見られました。もっとも、実用本位の新幹線にはありませんね。

戦後からの復興という、多くの日本人の願いを載せてこの機関車は昭和の後半を突っ走ったのでしょうな。