ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

取り留めなく

今朝は今のところ穏やかですが、今日は天候が荒れる予報なので安心はできません。今朝も雪掻きで腰がチト痛いです。そんなんで頭の回転がいつにも増して鈍いため、適当に写真をアップさせていただきます。

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横浜駅 L特急「踊り子」
この頃は、ちょくちょく臨時の「踊り子」が14系客車で運転されていたように記憶しています。今なら大変な騒ぎになるところでしょうが、日常的に見られるほど頻繁に走っていたので、そう騒がれることはなかったような気がします。街へ出た時に偶然見かけてのホーム撮り。
昭和58(1983)年10月29日

皆様の中には、出張にかこつけて鉄分補給された経験のお持ちの方が少なからずいらっしゃると思いますが、まあ私も何度か。でもそれとは別に、鉄道を使っての出張の際に、下車した駅をパチリということが稀にありました。
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着工前の工事現場を見に行った時に利用した駅で、両駅は隣接しており、当時は信越本線の駅でした。温泉には浸かることなく、清水からの日帰り出張でした。
昭和58(1983)年11月21日

会社の同僚たちとクリスマスツアーに行った時に立ち寄った、富士急ハイランドで見かけた蒸気機関車です。
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国鉄1190形式1190号機
当時は、こんなちっちゃな古臭い保存蒸機にはあまり興味はありませんでしたが、一応カメラを向けました。記憶はありませんけど。調べて見ると、大正13(1924)年製のコッペル製Cタンクで鶴見臨港鉄道(後の鶴見線)が購入した301号機でした。それを昭和18(1943)年に国鉄が買収し、昭和22(1947)年に改番して1190形式のトップ番号になったそうです。国鉄では浜川崎で入換に従事していたようですが昭和24(1949)年に廃車され、その後、三井埠頭扇町へ譲渡されて3号機を名乗り、廃車は昭和43(1968)年。直後に富士急ハイランドで保存されたということです。44年間も鶴見地区で働いてきた優秀な機関車と言えるでしょう。同型の機関車は14両が製造され、12の私鉄や専用鉄道が導入したとのこと。そのうちの6両が国鉄に買収され、この1190形式(1190号機、1191号機)の他に1195形式(1195号機、1196号機)や1215形式(1251号機)となったもの、またC-1に改造されて2090形式(2090号機)となったものもいました。この機関車は、どういう理由かは分かりませんが、その後「河口湖自動車博物館」に移設されました。
数年前の幾つかのブログでは草木に埋もれるように放置されている写真がアップされていますが、現在の河口湖自動車博物館のHPを見ると、この機関車についての記事は何もありません。解体されたのか、それとも保存扱いを止めて放置したままなのか。因みにここでは「館内では携帯、スマホ以外での撮影は禁止」という不思議な規則を設けています。
昭和58(1983)年12月25日

最後は意味なく清水駅で撮影した写真を。
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清水港線のDD13 205。三保から客車列車を牽いてきた後、清水駅で入換をおっぱじめました。客車を連結したままね。

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東海道本線の貨物列車 EF65 51
清水港線のホームからは改札を出られないので、東海道本線のホーム経由で改札を出ました。その途中にパチリ。この線には必ずと言っていいほど貨物列車が停車しており、EF65やEF60の姿が見られました。
昭和59(1984)年2月12日

記事を書いているうちに雲行きが怪しくなってきました。やはりな。