ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

国鉄型急行形直流電車

東海道本線をガンガン走っていた165系電車。しかしその前には153系が準急に急行に、また特急「こだま」がダンプと衝突すればその代走としても走りました。

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153系 昭和57(1982)年5月6日 川崎駅
運用を終えて、川崎駅に留置される153系。この当時、首都圏での153系最後の牙城は房総急行でした。

この153系の仲間として、修学旅行用に作られたのが155系と159系。「ひので」とか「きぼう」などといったヘッドマークを掲出して走っていたそうです。塗色は黄色と朱色のツートンという明るいもの。その塗色は後継の167系にも引き継がれました。座席は3列+2列のボックスシートといささか狭そう。「伴宙太」とか「ハリスの旋風」の番長とか「マンモス西」とかには、ぜってー無理!
荷棚はマクラギ方向。速度計もあるでよ。

でも東海道新幹線ができると修学旅行生はこぞってそちらを使うようになり、155系、159系、167系は一般車化改造され臨時や団体運用といった波動専用みたいになり、塗色も湘南色になりました。

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155系 昭和57(1982)年6月5日 早川~根府川
平べったい屋根がなんかいい。とってもいい。

主電動機のパワーがあまりないので、山岳路線は165系に譲りましたが、どこかあか抜けない顔で堂々と大幹線を疾走する姿には応援したくなっちゃいます。でも特急並に狭い出入り扉は、大錦とか小錦とか琴桜には通れなかったでしょう。

とうとう一度も乗ることなく155系、159系は消えてしまいました。クハ153の一部はクハ164に化けて、165系電車として一生を終えました。因みに私の修学旅行の思い出の列車はキハ56系と20系「ゆうづる」、583系ゆうづる」、0系新幹線、そして103系電車です。